介護タクシー開業への思い

介護タクシー開業への思い

開業を決心

 

私が介護タクシー開業を決心したのは 

両親との別れ、定年退職、そしてコロナの影響が有ったからです。

 

定年後は、パートの延長でバスの乗務員として働き、親孝行をしながらゆっくり生活出来ればと思っていました。

ですが両親との別れが先に訪れました。

特に母との別れは辛かったです。大病を患い自分の最期を悟り無理な治療をせず人生の幕を閉じました。見舞いに行くと明るく振る舞い有る時は死んだ後の対処を私に話す。
母が何故、今そんな事を言うのだろう。母は死を覚悟していました。病気を知った時、手遅れで有った事。無理な治療をせずただ痛みを和らげるのみでした。

どの様に死に対して向き合ったのか?子供達への思い。夫への思い。

有る時、病院に泊まり込みで付き添った時夜中に時々目を覚まし「まだ生きているのか?」というような様子で周りを見回している事が有りました。
そして次第に意識が無くなり昏睡状態になり別れの時を迎えました。話が出来る内にもっと話しておけば良かった。

後悔。


続けて父との別れ

この時期、認知症が加速しまた。連れ合いが亡くなった事が要因で有ったと思う。自分自身に置き変えると辛さが分かる様な気がします。いや想像出来てないと思います。

次第に老化と認知症が進み、介護施設にお世話になる事となりました。

やがて入院を繰り返しその内に延命措置の話が出てきて本人は希望しているのか?の問いに悩み兄弟で話し合い延命を希望しました。

父は認知症なので次第に息子達が分からなくなり他人を見る目。言葉も交わす事が無くなって来ました。
父との別れが来た時、延命は正しかったのだろうか?少しでも長く生きられた事に感謝すると共に、最後の父の姿を見て、辛い思いをさせてしまったのではないか?
今だから思う事は、「すまなかったな おやじ」。

 

両親が私に残してくれた思いや気持ちを大切にしたい。

 

「親孝行したい時に親はなし」

正にその通りです。


続けて義父との別れ、この年3月に父が亡くなり9月には義父に大病が見つかりました。高齢もあって治療をせずみとりの形を取りました。

そして延命措置の決断の時期が来て話し合い延命措置をしない事と決めました。決断に迷いは有りませんでした。本人へ辛い思いを長引かせたくない。

そして12月末に別れの時を迎え年明けに葬儀を行いました。

死を覚悟し私達に思いを残した母。

妻との死別から認知症を加速し延命措置を行い辛いまま逝った父。

延命措置をせずに逝った義父。

私の定年退職。

本来で有れば定年退職を迎えた充実感が有ると思っていましたが喪失感が襲って来ました。

 

お世話をして下さった介護、病院の方々等に感謝の気持ちで一杯です。

昔は、親の介護を家族が行いその為仕事を辞め介護していました。家族でも温かく接する事が難しいのに介護施設や病院ではいつも温かく接して下さった事が有りがたく、又、申し訳無く思いました。

 

喪失感で落ち込んでいる場合では無い。

お世話になった介護で私に出来る事は無いか?

資格を生かして出来る事は無いか?

そして見いだしたのが転院の時にお世話になった輸送。

介助を必要とする方々への輸送は絶対必要と思い無くてはならないと考えました。

そして介護タクシーを知り情報収集をして介護職員初任者研修の取得から始め準備をして開業する事が出来ました。

これからは輸送で困った方々の助けとなる様に心を込めて務めさせて戴きます。

 

長文になりましたが「介護タクシー開業への思い」を記します。